プロローグ
皆さまこんにちは
あつしです。
まず、星の数ほどあるwebサイトの中から、ここに来てくれたこと、感謝します。
本当に、ありがとうございます♪
以前に”料理と私_1”を書いてから、だいぶ経ちました。
やっと今回、続き”私と料理_2”をお伝えしたいと思います😅
よかったらお付き合いください。
親の顔色をうかがいながら過ごした子供時代
子ども時代のことについて、少し触れてみたいと思います。
母親はごはんを作ってくれてはいたのですが、どうやら料理は嫌いな様子でした。
私は子ども心に
「お母さんは、料理をやりたくない。でも、私たちのために”我慢”してやっている。。。」
と思いました。
母親の”義務”で作った料理を”おいしい”と感じることは出来ませんでした。
私には、妹と弟がいます。
妹は私と違って、勉強も出来て”よい子”でした。
弟は末っ子ということで可愛がられていました。
・・・私はといえば、勉強ができない”出来の悪い子”でした。
よく、母親からは
「おまえは本当に(勉強が)出来ない子だね!! この子は将来どうなっちゃうんだろうねぇ・・・」
と言われました。
一方、父親からも
「おまえなんかっ!」
とよく言われていました。
両親に手をあげられることもよくありました・・・
私は子どもの頃から、おとなしくて繊細だったので、心のキズも一層深くなって行きました。
私は親のことが、少しづつ時間をかけて嫌いになって行きました。現在でも・・・
両親の夫婦仲も悪かったため、私が高校生になったころ、ついに母親が家を出て行きました。
そして、離婚が成立しました。
父親は、仕事が忙しいという理由で、だんだん家を空けがちになりました。
実際は、新しく買ったマンションで女性と生活していたようでした。
私の料理がほめられた
両親がいなくなった家の中は冷蔵庫のように冷たく感じていたことを覚えています。
当時まだ十代だった私は台所に立つ必要がありました。
祖父母が私たちを心配していたのか、上京してしばらく滞在していました。
あるとき、私が作ったお粗末な料理を、祖母が食べる機会がありました。
祖母は私の料理を口にしながら
「あつしは料理上手だね、将来は料理の仕事をしたらいいよ」
と、私の料理をほめました。
両親に、ほめられることがなかった私にとっては、心に残った言葉でした。
この祖母の言葉が、料理が好きになる”原点”だったのかもしれません・・・
エピローグ
そのような経緯で、過去に、親や、まわりに色々言われきた私でしたが、祖母からほめられたことで
「私は料理が得意なのかなぁ」
と・・・少しだけ思いはじめました。
でもそれは、ほんの少し思っただけで、両親に散々ひどく言われたり、虐げられた時間があまりにも長すぎて、私のなかで埋もれていきました・・・
そのような経緯があり、高校3年になり進路を決めなければならない時期となり、電子工学系の職業訓練校に進みました。
今回は子ども時代のことをお伝えしましたが、続きはまた次回にしたいと思います。
読んでくださり、ありがとうございました♪
また来ていただけたら、うれしいです。
では